この記事は「人生が辛い時、読んでほしい話」つまりこれは、あなたと自分への手紙です。
ブログを運営するに伴い、記事がトップに来るように普通は対策をするものですが、こちらの記事は私の思いを裸のままぶつけたいと思い、そういったことは致しておりません。
ただ刺さる人に刺さればいい。
いないなら、自分へのメッセとして残しておきたいと思います。
人生が、ただただ辛い時に
他人の芝が青く見える。
自分の周りの人みんなが何も悩みがないように思える。
人生というのは無常で残酷で。
こんなに頑張っているのに、全然関係のないところで打ちのめされたりすると、自暴自棄になることもあるでしょう。
私も今その状況なのです。
将来への不安、自分の決断に対する自信のなさ、とてつもない恐怖に押しつぶされそうになるが、その恐怖の正体もわからない。
誰にも相談ができない。もしかしたら、相談する人がいないのかもしれない。ただ居たところで、どう相談すればいいのか分からない。
なぜなら自分でも何が不安なのか分からないから。
でもこの不安どこかで感じたことありませんか?
私は「人生というのは学校と同じものだ」と考えています。
あなたは学校が好きでしたか?
少し私の過去について語らせてください。
僕は学校があまり好きではありませんでした。
中学の頃は、なんとなく周りに馴染めず、いじめ(のようなもの)に遭い、それでも「バスケ部のキャプテンは強くなきゃいけない」そう考えていたので誰にも相談できず、親になんて話せたもんじゃない。
それでも学校には行かないといけない。
自分の嫌なことで周りを固められているような状況。それでも学校には行かないといけない。
隣を見れば、友達と本気で楽しそうな人がいる。
「こんな人には悩みなんてないんだろうなぁ。」
とか考える。
それでもバスケは大好きでした。バスケをしている時間だけは嫌なこと全て忘れることができた。
だからバスケができる高校に行きたかったのです。
ただ勉強ができませんでした。
賢い子やそんなに目標がない子(高校はどこでもいいよー。なんて言う子でしたね笑)に対して嫉妬のような感情も覚えました。
そんな感情持ったところで、勉強ができるわけでもない。それでも受験は迫ってくる。
挙げ句の果てにはカンニングまでして、しかもバレる。笑
もう、ぐっちゃぐちゃの状態です。
それでも、学校には行かないといけない。


大丈夫。いつか終わる。
救いようのない私の過去を見ていただきありがとうございました。笑
どうでしょうか?なんとなく人生に似ていませんか?
友達もお金も恋人もいないかもしれない。周りは結婚をしていく中で、どうしようもない不安に駆られる。
でも生きていかなくてはいけない。
言えるのは一つ。「いつか終わる」ということです。
学校生活もそうでした。永遠に中学生ではいられません。
「卒業」か「中退」してしまえば、学校生活は終わりなんです。
人生も同じ。
僕の中では、
人生においての「卒業」は人生を全うした人に対して、「中退」は…
「卒業」しておけば、「学校に戻りたい」と後悔する可能性はほとんどないかもしれません。
ただ、「中退」だと、何年後かにもしかしたら「みんなと一緒に卒業しておけばよかった」なんて考えるかもしれません。
でも、もう叶わないですよね。
できれば「中退」はしないでほしい
大学生の頃、友達が大学を「中退」しました。
中学からの同級生で一緒に頑張ってきたのもあって、本人から話を聞いときには「寂しかった」のを覚えています。
当時は「卒業はしておいたら?」なんて引き留めたものですが、最終決定の権利は本人にあります。
なので「無理やり残す」ことはできません。
それをするのは相手の人生を思ってではなく、
その場にいないと自分が寂しいから。という我儘になってしまうのを当時から知っていました。
世の中には、
「⚪︎ぬなよ」
というメッセージが込められた作品(映画かもしれないし、音楽かもしれない)がたくさんありますが、あれはみんな「寂しい」んです。いなくなってしまうと。
その証拠に、なんで自死してはいけないのか。きちんと説明できる方はそういないでしょう。
でもここがポイントなんです。
今どんなにキツくて、家族もいなくて、友達も、愛する人もいなかったとしても、それでもあなたがいなくなって「寂しい」と感じる人はここに1人必ずいることを覚えておいてください。
私はあなたがいなくなると寂しいです。
後悔のない人生とは
全うすることだと思います。
どんな学生も、卒業証書をもらった瞬間は多少なりとも達成感や他の感情が芽生えたはずです。
どんなに嫌なことがあったとしても、それを乗り越えて卒業したんだから、そりゃ「終わったー!」という達成感はあるでしょう。
我々人間というのは賢い生き物なので、すぐ周りと自分を比較してしまうのです。
なので「後悔のない人生」と聞くと、どうしても
「イーロンマスクのように何かを成し遂げる」
「そこまででなくても、近所の○○さんのように良い所に就職する」
何かしらの”良い”モデルを作ってしまうのです。そこと比較してしまう。
学校で言うと、成績優秀な生徒と自分を比較するようなものです。
大人になれば、「なんであんな小さなことを比べてしょげてたんだろう」と思うものじゃないですか。
比べてしまえば、上には上が無限にいる。
それよりも大切なことは「卒業」することです。あれはどんな困難にも逃げずに立ち向かってきたという証明書だと思っています。
そう考えると、我々今生きているだけで「偉い」し「すごい」と思うんです。
これが野生動物と考えると?
「今日生きる」ということがどんなにすごいことか。
怖い時の対処方法
困難への立ち向かい方は、野生動物がよく知っています。
バッファロー(アメリカバイソン)をご存知でしょうか?


彼らは目の前に嵐が来ると、その嵐に向かって進んでいく習性があります。
周りの動物はその嵐に背を向けて逃げていくのに。
嵐というのは常に動くもの。なのでこっちに向かってきている嵐に背を向けて逃げてしまうと、その嵐から抜けることはできなくなってしまう。
それを彼らは知っているのです。


だからその嵐に向かっていく。
格闘技を知っている方ならご存知かもしれませんが、
パンチが怖い相手にはむしろ体を引っ付けるのです。
そうすれば強いパンチは打てません。
会社/学校でやらかした。そういう時は真っ先に謝りに行くのです。
そうすれば案外怒られずに、それも早く対処ができるので大事にならずに済むものです。
もうお分かりですね。「怖い/辛い/めんどくさい」ものには自分から向かっていくと、案外大したものじゃないかもしれませんよ。
それでも辛い方へ
いっそその場所から離れるのも一つの手だと思います。
それは決して「逃げ」ではないです。
学校なら「転校」ですね。
自分の身を置く場所を変えるのです。
そっちの方が居心地がいいのなら、それでいいのです。
別に「転校」するのに回数制限なんてないし(…ある?)、会社も何度変えても別にいいでしょう。
もしくは国そのものを変える手もありますよね。
なんせ「手詰まりだ…」と思ったとしても、それは見えていないだけで何万通り,何億通りの選択肢が我々の前にはあるのです。
「無理だ」と思ったら「転校」しましょう。
どうです?以上が私が人生=学校と思う理由です。
一番大切なのは「卒業すること」。
私はあなたと一緒に「卒業」したい。